Home and Away

現役の国連職員という立場で、世界での様々な話を綴っています。 ただいまソマリア在住。日本での「Home」と、外国での「Away」生活を楽しむ人生が継続中です。 http://safarisalama.livedoor.blog/ (国連職員駆け出し時代のブログ;2004年~2013年)

私たちの飼い犬レンブランを見て、以前にコーギーを買っていたと言う初老の女性が妻に話しかけた。彼女が飼っていたコーギーは16年生きて「これが亡くなる1週間ほど前の姿です」と言って写真を見せてくれた。

昔を懐かしみ、愛犬を今も恋しがる彼女の表情が印象的だった。16年も寄り添ったペットとは思い出も多かろう。コーギーを見かけるたびに思い出が蘇ってくるのだと思う。

レンブランが最も好きな時間は車に乗ってどこかに行くことで、その車に可愛がってくれる人がいればなおさら喜ぶ。今日は妻の友人であり、レンブランをいつも可愛がってくれるMさんが同乗してドライブに行くことになった。レンブランを飼い始めた頃からMさんはたまに一緒に遊びに行ってくれる。

目指した場所は別府から車で約1時間で行ける大分県内の福貴野(ふきの)の滝で、こんな暑い日には滝の水しぶきを浴びたい。別府も残暑が厳しいため、レンブランも散歩の時間を早めに切り上げて「もうええわ、帰ろうや」という表情をする。

福貴野の滝の落差は65メートルで、私たちはそれを一望できる展望台に向かった。一直線に落ちる滝の姿が美しく、展望台から空を見ると太陽の光が雲の間から漏れて神々しい景色となった。

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さらに、滝つぼまで行けることが分かった。近くまで車で行き、最後は少し歩くようだが行ってみることにした。

駐車場から滝つぼまでの距離は遠くないので私たちはレンブランを連れて歩き出したが、足元が水で埋まり、レンブランの身長では越えることができない岩場が見えてきた。そこを大人3人でレンブランを抱えては駅伝のタスキのように渡していった。慎重に手渡しはしたが、バランスを崩してレンブランが川にドンブランとなるのも見てみたい。

しかし、滝つぼにいたる最後の難関は私たちが駅伝方式にしてもレンブランを抱えることは難しく、人だけが交互に滝つぼまで行って滝を身近で眺めることにした。

滝つぼの水はひんやりとして気持ちよく、滝から吹いてくる冷たい風が心地よい。手を水の中に浸すだけで、蒸し暑さの中で山道を歩いて疲れた体を回復させてくれる。美しく豊かな水の恵みよ。
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難所に来ると私たちはレンブランを抱え、レンブランは誰の腕の中でもおとなしくしていた。Mさんと以前に高原地帯を散歩したときにレンブランは足から血を流して歩けなくなり、やはり抱えられて歩いたことを思い出す。

災害現場から見つかった犬を救助するように私たちはレンブランを腕から腕へと移動させた。冒頭に書いた女性が回想していたように、いつかこんな出来事を思い出す日が来るだろう。

この10年間ほどは私の衣類や物品などの所有物は3カ所に分かれていた。1カ所目は私の赴任国で、他の2カ所は日本の妻の住居と親の家だ。

大学を卒業してからも私の多くの物は実家に置きっぱなしだった。子供の頃に使っていた思い出の品々や、捨てずに取っておいた衣類なども多い。そんな実家から親は一昨年に引っ越しをすることになったので、その機会に私の物も整理したり破棄した。

一方で妻は日本国内での引っ越しもあったし、日本を離れて外国に留学していた頃もあり、その際に私物は貸倉庫に預けていた。私の物もその中に混じえていた。

そして私自身はスーツケース1つか2つに衣類や生活用品を詰めて任国を転々とした。大半は消耗品だったし、衣類もなるべく増やさないようにして、新しいものを買えば古いものを破棄するようにした。この10年でスーツは1着も買っていない。

この度の帰国は長期の休職期間を予定しているため、日本に着くなり親宅に置いてある私物を妻の家に送る作業に取りかかった。改めて破棄する物と、残しておくものを選別しようと思っているので、いずれまた親の家を訪ねたときに整理していくつもりだ。

別府で妻が暮らすマンションの部屋は今まで住んだ中でも空間が広くて私の衣類はだいぶ収納された。特に押し入れの中は空間に余裕があるので、親の家に置きっぱなしの物も収まることだろう。スーツケースが衣装ケースとなっていた状態もこれで解消される。

この8年間で、4か国を転々としていた生活によって運ばれていた物がこれで落ち着きはじめたが、「本当に必要な物は少ない」ということを感じさせられる。

途上国の任地で着ている物はどこでもシンプルで数も多くなかったため、洗濯をしてしまえば週に数回同じ服を着ることは珍しくなかった。日用品も「なくなったときに買う」という方針を貫いていた。

このように生活していた中で、一つの物を長くに渡って使い続けてもきた。現地でずっと使っていた物を日本に持って帰ってくると汚れているように映るのは、それだけ日本は清潔な環境で、きれいな物が揃っているからだ。今回はソマリアで使っていたコップを記念に持って帰ってきたものの、日本では薄汚れて見える。

「生活に欠かせないもの」ではなくても、気持ちを落ち着かせるものや、思い出の品々も大事な物には違いない。一つ一つの物を大事にする感覚は失わずに、必要な物とその数のバランスを考えながら生活していきたい。

今回ソマリアを離任する際に私は飛行機の中から首都モガディシュ空港を眺めていた。この空港は国際便、国内便を合わせると私の任期中に50回以上は利用した思い出の空港だ。

飛行機が離陸する前はそれなりに感傷的になりながら外を見つめてはいたのだが、今までの任地を引き上げたときと比べると強い感情は込み上げてこなかった。「これはなぜなのだろうか」と思っていた。

それは恐らく、この10年間の他の任地に比べれば任期中に大きな波乱が起きなかったからだろう。2014年に離任した南スーダンでは201312月に発生した内戦によって「国内に留まるか、国外に避難するか」で葛藤が続いた。内戦勃発時に実際に目にした兵士たちの死体や、避難民たちの悲鳴もいつまでも忘れることはできない。

2018年に離任したミャンマーでは、任期中に2度に渡って私たちが支援し続けたロヒンギャに対してミャンマー軍による虐殺事件があり、私の心を痛め続けた2年となった。

2020年に去ったイエメンでの任期中はそれほどの波乱は起こらなかったが、コロナ禍に突入したために任地に閉じ込められることとなり、精神的に厳しかった。また、鎖国状態にあったイエメンでは国民が国外に民間機で脱出することができず、その中で任期を早めに切り上げて去ることには後ろ髪を引かれる思いもあった。

2022年に離任したスーダンでは202110月に軍事クーデターが勃発した。クーデターが発生した日は私が首都ハルトゥームに車で向かっており、ハルトゥームにたどり着いた時はインターネットなどが寸断されていた。スーダンでの任期中はずっとコロナ禍だったので国内外での移動条件が何度も変わり、その都度対応し、振り回された。

対してソマリアでは、他の国と同様に仕事や生活に関連するトラブルは多々あったが、国自体に騒乱が起きたり、任地に孤立させられるなど深刻に自分の身を心配しなければならないような事態にはならなかった。

全世界に報じられるような内乱と、それに伴う苦難を味わわないと離任時にそれほど感傷的になれない私は奇妙な生命体だ。それは自他ともに認めている。
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今回のソマリア離任はしばらく休職をすることが分かっていたため、「この組織ともしばしのお別れだな」とは感じた。やはり2014年に南スーダンを去った時にも同じことを感じたのだが、南スーダンの首都ジュバ空港を発つ直前に我が組織の飛行機が飛び立ったのを見て涙がこみ上げてきたものだ。自然に沸き起こってくる感情を大事にしたい。

妻が近々行う研修の資料を作成していて、その中に映画「タイタニック」のある場面と、異文化コミュニケーションの類似点は何か、と問うスライドがあった。

映画ではタイタニック号が、海面下の氷山に船体が衝突したことから沈没してしまうのが最も印象に残る場面の一つだが、異文化も「目に見えている氷山(例えば町の景色や食べ物)」と、「目には見えない氷山の部分(例えば地元の人の価値観や考え方など)」がある。使用するスライドは「見えていない氷山」というキーワードを研修生たちに聞くためのものだった。
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私はそれを見るなり「でも、研修生たちは映画タイタニックを見ているのかな」と聞いた。この映画は1997年に上映されたので27年も前のことになる。多くの研修生たちが30代だとしたら映画館では見ていないだろうし、動画配信などでもどれだけの人が見ているか。

タイタニックが上映された当時は記録的な大ヒット映画となったので、当時ならば「タイタニック」について発表で言及しても主要な場面を語れる人は多かっただろう。妻は「映画タイタニックが27年も前のことになってしまったなんて・・・」と愕然としていた。

そうなると、20代から30代の人たちに対して、非常に印象に残る有名な場面がある映画とは何なのだろうか。私も以前に比べれば映画を見ることが少なくなった。「最も好きな映画の場面は何か」と問われると、30年前の映画しか思い浮かばない。

このケースと少し似たことを私は近年になって感じ始めている。私は毎年のように10代の人たちに対して私が経験したことを授業などで話しているが、その中で2011年に発生した東日本大震災の話題をすることがある。

津波を受けて発生した原子力発電所事故により放射性物質が大気に放出された。当時は世界中が「日本全土を放射能が覆って食物などが汚染されている」とニュースでは放送されていたものだ。それは日本で暮らしていれば「嘘だ」と言えるニュースだった。

この件を通じて、ニュースをそのまま信じることの危険性を私は語りたいのだが最近の高校生たちは東日本大震災が発生した時はまだ45歳だったので実感しづらい。少し前ならば全員が「そう、あのときはそうだった!」と頷いてくれたものだが。

講演などをするときはイメージがしやすい場面や例を挙げると話が効果的に伝わる。この数年で最も衝撃的だったのはコロナ禍の時期だが、それも時が経つにつれて「ソーシャルディスタンスってなんやねん?」と言う若い子たちが多くなってくるのだろう。時はそうして流れていく。

先週に台風が迫ってきていた夜に、強い風の音に怯えた愛犬レンブランが部屋を慌ただしく歩き回っていたことを書いた。部屋のフロアリングが傷つかないように床にはスポンジのマットレスを敷いているのだが、その上をレンブランが小走りで動くと「ピタピタピタ」と音がするので眠っていると気になって起きてしまう。

先日の台風時はレンブランが浴室に落ち着いたことで部屋内を歩き回らなくなった。ところが昨晩のレンブランは違った。真夜中にピタピタ音を立てて部屋内を縦横無尽に歩き回り、私が寝ている部屋のふすまを何度も開けようとする。

私が寝ているのは和室で、レンブランは入れないようにしてある。ふすまは開かないように固定しているので「そのうち諦めるだろう」とは思っていたのだが、今回は「何としても開けてやる」とレンブランは諦めずに挑戦している。

部屋を走り回る「ピタピタピタ」と、ふすまを開けようとする「ゴソゴソ」という音を何度聞いただろうか。全く収まる気配がないので「何かを訴えようとしているのか」と私は部屋から出てレンブランを触った。レンブランは私の腕に身を寄せながらも体をなめている。
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「レンブランは用を足したいのかもしれない」と思った。通常であれば夕方の散歩で糞も尿もしっかり出すのだけれど、今日の夕方の散歩は短めに終わった。そこで真夜中の散歩に連れて行くことにした。

マンションの横にある海岸では午前3時ともなるとさすがに誰もいない。街灯がいくつかあるので視界は真っ暗ではなかったけれど、いつもの朝や夕方の散歩とは全く違う。温かい空気が立ち込め、かすかに波と虫の音が響く。

レンブランは歩きだしてから5分も経たないうちに糞も尿もしっかり出したので「やっぱり我慢できなかったのか」と思った。安心してそのままマンションに戻ろうとしたら「もっと行こう!」とレンブランは逆方向に歩き出すので「もう明日の朝でええやん!」と引き返した。

部屋に戻ったがレンブランは先ほどの行動をやめなかった。妻によると以前にも全く同じ行動をしたことがあるようで、結局は妻がリビングルームにあるソファの上に寝て、レンブランを撫でながら落ち着かせた。ようやく興奮は収まった。

レンブランのこの興奮の原因は明確ではないが、何らかの不安を感じてはいるのだろう。私が別府に戻ってきて「21匹生活」が始まったからだろうか。

いずれにせよレンブランの真夜中の徘徊が今後も続けば私は眠れない夜が続く。精神的に落ち着いてくれますように。
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3週間前に私はソマリアの任地にある海岸を訪れた。この海岸は私のオフィスの食料倉庫がある敷地のすぐそばにあるため何度か立ち寄ることがあった。

ソマリアは赴任する前から「海が広がっている」というイメージが強かった。私の任地はソマリアでも有数の港があることで有名だから、「頻繁に海に行ける」と赴任前は思っていた。

ところが赴任してみると仕事で関連のある場所にしか訪問が許されなかった。そこで食料倉庫に特に用事がなくても、海を見たいために倉庫を訪問することもあったくらいだ。任地では完全に警護され、閉ざされた空間で生活をしていたので、海を目の前に見るときが最も解放された気分になれた。

そして3週間前に最後に海に別れを告げに行くと、私のもとに2名の若い軍人が歩いてきた。彼らは厳しい表情をして現地語のソマリ語で私に「ここで何をやっているんだ」と聞いた。

私は通訳をしてくれる部下を通して「そこにある倉庫には私のオフィスが食料を保管しており、あそこに見える港から食料が運ばれてくる。そのルートを何度か視察しているが、今回は任地を去るので最後に見届けに来たのです」と彼らに伝えた。

すると彼らは「それは分かったがここは立ち入り禁止だ。出て行きなさい」と言う。しかし、ここは公共の海岸で軍事演習をしている気配もない。周囲は特に用事もなさそうなソマリア人たちも多くいるのに、彼らは良くてなぜ私はいけないのか。

しかし、そんな素朴な疑問を投げかけて彼らの機嫌を損ねたくない。なにせ銃を持っているしね・・・。後味は良くなかったが「では、去ります」と素直にその場を後にした。最後だからもう少し潮風を浴びていたかったが。

車に乗り込むなり、私は部下たちに「なぜ彼らは海岸に立ち入ることを禁止したのだろう」と聞いた。すると部下の一人はこう言った。

小さめの船が海岸近くにあったでしょう。あれは炭を密輸している船なのです。ここから炭を輸出するのは不法行為に指定されているので、外国人に目撃されては困るのでしょう。

なるほどね・・・。かつて私の任地は炭の生産地として有名だったが、そのために樹木が伐採されて激減してしまった。「不法行為」としているのが国の政策なのかは分からないが軍隊は黙認している。外国人の私はスパイと思われてしまったのかもしれない。

私はソマリアのどこに行っても「客人」として歓迎されたが、あの海では最後に「出て行きなさい」と強い口調で言われた。最後に初めて「一般人」として扱われた気になった。
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ソマリアで働いていた際にソマリア人職員たちから多かった要望の1つは「トップダウンではなく、もっとボトムアップで政策決定をしたい」というものだった。

ソマリア事務所での「トップダウン」とは首都モガディシュにある国事務所が援助手法など様々な政策についてほぼ一方的に決定し、ソマリアに点在する各地域事務所にそれを指示し、実施させることだ。

対して「ボトムアップ」とは、各地域事務所がそれぞれの地域に応じた活動を考え、援助現場で培った経験を踏まえて提言し、実施を国事務所に決定してもらうことだ。「自分たちの地域で実施する活動は、自分たちが率先して決めたい」との言い分だ。

全ての予算を管理し、高い地位に就いている職員が働くのが国事務所である以上は、「トップダウン」にはなってしまう。その中でもなるべく国事務所は地域事務所の意見を反映するように政策を練ってはいたが、「その政策はうちの現場には適合しない」といった不満は常にある。

そこで私が今年の4月から率いることになった「地方事務所の能力強化プロジェクト」では、全ての地方事務所から「能力強化のために何をしたいか」という案を出してもらい、その政策を国事務所に承認させるべく、各事務所から選抜された代表者たちでチームを組んだ。

「自分たちが出した案を自分たちで実施していくのだから、これはまさにボトムアップだ。ただ、その過程で助言や予算が欲しいこともあるだろうから、その際は遠慮なく相談して欲しい」と私は定例のミーティング中に常に述べてきた。ミーティングの出席率は低かったので、メールでも書いた。

しかし、メンバーたちは全く活動的ではなかった。ミーティングの出席率はずっと低かったし、「助言が欲しい」とも言わない。あれだけ「ボトムアップ」と言っていたのに、自らの最大のチャンスを生かそうとする姿勢がなかった。

結局、地方事務所にいるソマリア人職員たちはトップダウンに慣れてきているので、いざ自分たちが立ち上げてやろうとすることを面倒に感じたのかもしれないし、そもそもボトムアップを本当に望んではいなかったのかもしれない。

もしくは都合の良いボトムアップだけを望んでいるのかもしれない。例えば政策などの決定は国事務所がやってもらい、「援助をする人数、予算や職員たちへの研修や出張日数」は全て地方事務所が決めるとか。

「半年程度でソマリア人職員の意識が変わることはないだろうから失望してはいけない」とは思いつつも、彼らの本心が何なのかを分からなければ正しいやり方も見いだせない。もはやソマリア事務所の職員ではなくなった私だが「やり残した」と思えることの一つだ。
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私がソマリアで過ごしていた最後の日に同僚のPさん(女性)に我が組織の食堂で会った。Pさんは1年前からソマリア事務所で働いており、何度もオンラインミーティングで会ったし、メールでのやり取りをしたことがあったが、Pさんがどこの国の出身の人か分からなかった。

そのときの食堂で彼女がネパール人だと言うことを知った。Pさんが同僚のRさんと話している会話で「あなたはいつネパールに遊びに来てくれるのか?」と聞いていたからだ。

「あなたはネパール人なんだね!」と私が言ってPさんが頷くと、私は「元気ですか?私は以前に2年間ネパールに住んでいました」とネパール語で話した。いくつもの言語を話せる国連職員の中でも、ネパール語が話せる人は珍しい。私がネパール語を話しだすとネパール人職員はびっくりする。

その後はRさんが関心のあるネパールのトレッキングの話で盛り上がりつつも、20代と若いPさんに対して私は思い出話を語り、Pさんは「今はそうではなくなってきているんですよ!」と最新情報を提供してくれた。

食堂では仕事関連の話が大半にはなるが、その国の観光名所や文化や食べ物などの話をするときが私は一番楽しい。世代を超えてPさんとはとても良い会話ができた。今後また会えることがあるかは分からないが、ソマリア滞在最後の日でも多くの出会いがあったことに感謝したい。

さて、別府は留学生が半数近くを占める大学があることもあって、町には多くの外国人を見かける。大学を卒業した後も別府に残って就職したり、起業する外国人もいる。スーパーやコンビニでも外国人がレジで仕事をしているのは珍しくない。

店員であれば名札をつけていることが多いので、私は名札を見て「ひょっとして、あなたはどこどこの国の人ですか」と声をかけることがある。その一つの国がネパール人で、ネパール人特有の名字もあるためにほぼ私の推測は当たる。

アジアであれば私が2年半活動したミャンマーも大変愛着はあるのだが、ミャンマーは国の状況が複雑なので留学生も多くはなく、民族数が多くて名字からは判断しにくい。私から「ミャンマー人だ」と分かって話しかけたことは1度もない。

ミャンマーに劣らず国の状態が複雑なイエメンやスーダン人は留学生もほとんどいないだろうし、スーパーで働いている人もどれだけいるだろうか。それでも「モハメド」という名の店員がいれば話しかけてみたい。

私が住んだ国の人に声をかけ、会話をするのはその国での滞在を懐古し、復習をしているようなものだ。今後も楽しみたい。

午前7時半の別府は、台風が大分県に上陸してはいたが風もなく、雨もほとんど降っていなかった。昨夜は静かで愛犬レンブランも穏やかに眠っていたようだ。

本来の予定であれば今日から妻は北海道に出張に行く予定だった。大分から札幌へは直行便がないので羽田で乗り換える必要があるが、今日は大分離発着の便が早々に欠航となり、数日前に妻はこの出張をキャンセルした。

私は1週間前の金曜に日本に帰国したが、2週間前の金曜は関東地方に台風が最接近していたのでその日の便であれば欠航になっただろうし、今週の金曜もやはり欠航だったかもしれない。うまい具合に間に帰ることができたものだ。

過去にも日本に帰国、出国する際に台風が迫っていたこともあったが、幸運にも1度も便がキャンセルされることはなかった。ソマリアでの活動期間は1か月半に1度の頻度で入出国をしており、何かの事情で便がキャンセル、または大幅に遅延することも想定していた。これまた幸いにもほぼ全てが予定通り飛んでくれたのは助かった。

私が先日、羽田から大分に乗る便を搭乗口で待っていると、隣の搭乗口から出発する予定だった佐賀行きの便が「機材の補給が間に合わなかったために欠航となりました」と告知された。それを聞いていた近くの乗客が「気の毒やな~、佐賀やから乗客数はそんなにおらんやろうけど」と言っていた。なぜ佐賀はそこまで国民にからかわれるのか・・・。

今日の午後から妻は現地で対面会合して、施設を見学し、夜は飲めや歌えや、食えやジンギスカンを堪能する予定だったが、別府から参加するオンラインの会合で終わってしまった。

わざわざ北海道まで飛ばなくても肝心の議論ができるのが当たり前になってきたとはいえ、「肝心の雑談」はやはり現地で飲み食いを共にした方が盛り上がる。妻は貴重な機会を台風に奪われてしまったが、主催者は今度は私を北海道に秋ごろに招待してもらえないだろうか。

今日の夕方には赤く染まる空が一瞬だけ広がり、乾いた風が吹いてきた。正月でも開いている近くのセブンイレブンが店を閉めているのは商品が届かなかったからだろうか。昨日も今日も半日以上店を開けていて、商品も揃っていたスーパーのイーオンは恐るべしだな。

ソマリアから帰国してすぐに台風に見舞われ、これが休暇であればソマリアに「お土産話」として持って帰るが、今回はここに滞在する。台風が九州から去った余韻をしばらく味わっていよう。
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昨夜、愛犬レンブランが慌ただしく動いていることが分かって目が覚めた。私の寝室はレンブランが寝ているリビングルームの隣にあるのだが、レンブランの動きで目覚めたことは滅多になかった。

先日から迫っている大型台風の影響で窓に強い風が打ち付け、外の建物の屋根も音を立てていた。犬は人間よりも聴覚がかなり良いので、あの強い音がさらに強く聞こえて怖いのだろう。

不安がるレンブランを感じながらも私はのんきに眠り込んでしまっていた。予報によれば台風が最接近するまでには1日あるし、「レンブランもそのうち落ち着くだろう」と思っていたので。

そして朝になってみると、妻が「レンブランが今までに決して眠らなかった場所にいる!」と言う。レンブランは浴室の中にいて、どうやらここが部屋内では最も強風の音が聞こえない場所だとか。それを発見したレンブランが自力で中に入ったようだ。

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浴室に入るにはレンブランは目の位置よりも高い敷居を越えなければならない。人間にしてみれば頭の高さほどのある壁をよじ登るようなものだ。犬の方が跳躍力があるとはいえ、レンブランにしてみれば必死の行動だっただろう。

犬は部屋で用が足せるインドア派と、外でないと何もできないアウトドア派がいる。レンブランは自他ともに認めるアウトドア派で、空を見ながら用を足すことを至福の瞬間と感じている。

本日午前8時の別府は激しい雨が降り、強い風が吹いていて、ドアを開けて少し外に出ると横なぐりの雨が体に降り注ぐ。普段の朝の散歩は海沿いを散歩しているが、これでは犬も飛んでいくことだろう。「本日はフライング・ドックに注意してください」という注意報が大分全域で発出されている。

夜中から危機を悟っていたレンブランなので、外にどんどん進んでいこうとしなかった。マンションを少しだけ出た前の草むらと、屋根のある駐車場でレンブランはさっと用を足して満足したようだ。

台風は九州南部から北へ向かってはいたが、午後になるとほとんど風も吹かず、小雨となった。「これならば外に出ても大丈夫そうだ」と思って私は買い物に行き、海岸沿いを歩いてみた。波は荒いけれど、予期していたほどの激しい状態にはならなかった。思えば昨夜から今朝にかけての時間が最も天候が荒れていた。

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そして夜になるとさらに雨も風も完全にやみ、奇妙なくらいに静かになった。外は湿気が充満して空気が重く感じられた。明日の早朝には大分に上陸する見込みなのでどうなることか。

レンブランは落ち着いた表情で眠りについていた。いちおう今夜も浴室に寝床を用意しておいてあげますか。

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